ヴェルサイユ宮殿パリ郊外 · 非公式ガイド
パリ郊外 · ヴェルサイユ

ヴェルサイユ宮殿

パリの南西にあるヴェルサイユ宮殿(ベルサイユ宮殿)は、ルイ14世が築いたフランス王政の中心です。公式サイトは英語とフランス語のみのため、歴史、見どころ、予約方法、料金、休館日を日本語で整理しました。

チケットを見る チケットの選び方 公式のパスポート券は高シーズン35ユーロ。毎週月曜は休館
月曜休館全員が時間指定の予約が必要宮殿の音声ガイドは日本語あり
ヴェルサイユ宮殿の正面、王の中庭から見た外観

ひと目でわかる基本情報

項目内容
場所パリ中心部の南西約20km(資料により16〜22km)、イヴリーヌ県ヴェルサイユ市
休館日毎週月曜と、1月1日・5月1日・12月25日。庭園と公園は毎日開く
宮殿の開館9:00〜18:30(4月〜10月)、9:00〜17:30(11月〜3月)。最終入場は閉館の45分前
トリアノン12:00から開く(夏の一部期間は早まる場合あり)
チケット全域のパスポート券が高シーズン35ユーロ、低シーズン25ユーロ
所要時間宮殿だけで1.5〜2.5時間、庭園とトリアノンまで回ると1日
世界遺産1979年登録

情報は2026年10月に公式サイトで確認した内容です。料金と時間は変わることがあるため、購入前に公式サイトで最新の内容をご確認ください。

ヴェルサイユ宮殿とは

もともとは1623年ごろ、ルイ13世がパリ近郊の湿地の丘に建てた小さな狩猟用の館でした。赤れんがと白い石、スレートの屋根でできた約35mの小さな建物で、当時は「みすぼらしい城」「トランプの城」と揶揄されたと伝わります。ルイ13世の死後、領地は約20年近く手入れされないまま放置されました。

転機は1661年です。若いルイ14世は、財務卿フーケが開いた祝宴でヴォー=ル=ヴィコント城の壮麗さに驚き、フーケを逮捕する一方で、その城を手がけた建築家ル・ヴォー、庭園設計家ル・ノートル、画家ル・ブランを自分の事業に起用しました。ヴェルサイユの拡張はここから本格的に始まります。

ル・ヴォーに続いて、1678年からは建築家ジュール・アルドゥアン=マンサールが総責任者となり、鏡の間や南北の翼棟、のちの礼拝堂までを手がけました。ルイ14世は1682年5月6日に宮廷と政府をここへ移し、以後、ルイ16世の時代の1789年10月まで、摂政時代(1715〜23年)を除いて王宮として使われました。

ヴェルサイユ宮殿の北翼
石造りの長い翼棟が左右に広がる、宮殿の北側の眺め。

規模は桁外れです。英語版ウィキペディアによると、宮殿の正面は約402m(日本語版では約400m)、建物の面積は約63,000平方メートル、部屋数は約2,300で、そのうち約1,000室が国立の歴史博物館として使われています。窓は2,000枚あまり、階段は67あるとされます。敷地全体は現在およそ800ヘクタールで、整形式の庭園だけで約93ヘクタールあります。革命前の領地は8,000ヘクタールを超えていました。

建築の特徴:三つの時代が重なる

ヴェルサイユ宮殿は、1630年代から1780年代までのフランス建築の歴史が一か所に重なった建物です。いちばん古い中心部はルイ13世の赤れんがと白い石の館で、ルイ14世の時代の1668〜71年に、ル・ヴォーが三方を白い石の外壁で包み込みました。この「エンヴロップ(包み込み)」が、庭園側の正面になります。

ところが、新旧の外壁が並ぶ中庭側は、様式も素材も異なり、財務を預かるコルベールが「継ぎはぎ」と評したと伝わります。ルイ14世自身も不満でしたが、統一する試みはうまくいかず、そのまま残りました。中庭側に赤れんがの部分が見えるのはそのためです。

宮殿は、東側のU字形の中庭を、左右対称の翼棟が囲む形です。パリのほうから来る大通りに向かって開き、ここが入口になります。西側は庭園に面し、東西の軸が、ラトーナの噴水、緑の絨毯、大運河へと一直線に続きます。18世紀には、ルイ15世の建築家ガブリエルが北側の大臣翼棟を新古典主義で建て直しています。

建築様式は、日本語版ウィキペディアでは「バロック建築の代表作」と説明されますが、英語版では「フランス古典主義建築の傑作」とされ、見方が分かれます。いずれにしても、イギリスのハンプトン・コート宮殿、ベルリン宮殿、スウェーデンのストックホルム宮殿など、ヨーロッパ各地の宮殿に影響を与えました。1979年に世界遺産に登録されたときは、登録基準(1)(2)(6)を満たすとされています。

見どころ:鏡の間と王の居室

宮殿の中で、最初に押さえたいのは次の3か所です。

鏡の間(鏡の回廊)

長さ約73m。庭園側の17の窓に向かい合って、17のアーチ状の鏡が並びます。天井にはル・ブランによるルイ14世をたたえる絵が続きます。

王の大居室

ヘラクレス、ヴィーナス、ディアナ、マルス、メルクリウス、アポロンなど、神々の名で呼ばれる一連のサロンです。鏡の間ができる前の王の公式の空間でした。

王と王妃の寝室

ルイ14世が1715年に亡くなった王の寝室と、マリー・アントワネットが1789年10月の夜に逃れた王妃の寝室があります。

鏡の間
ル・ブランの天井画とシャンデリアが続く鏡の間。1919年にはここでヴェルサイユ条約が調印されました。
王や王妃の私的な居室の一部は、ガイド付きの見学のみの場合があります。公式の自由見学のルートに何が含まれるかは、購入前に公式サイトで確認してください。

鏡の間をくわしく:数字で見る大回廊

項目内容
長さ・幅・高さ約73m、幅約10.5m、高さ約12.3m
窓と鏡庭園側に17の窓、反対側に17のアーチ状の鏡
鏡の枚数約357枚とする資料が多い。350枚あまりとする資料もある
建設1678年ごろ着工、1680年代前半に完成(資料により異なる)
設計・装飾建築はマンサール、天井画の総監督はル・ブラン
両端の間北に「戦争の間」、南に「平和の間」

鏡の間は、王の居室の庭園側にあったテラスを取り壊して造られました。窓から入る光と、向かいの壁の鏡が庭を映し、夜はろうそくの光を増やします。鏡は17世紀には非常に高価な輸入品で、ヴェネツィアが市場を独占していました。ルイ14世の財務を預かるコルベールが王立の鏡製作所を設立し、鏡の間の鏡が、その最初の大きな注文だったとされます。鏡で壁を埋めることは、王の富と、フランスの産業の力を示す意味もありました。

天井画は、ル・ブランが率いて描いたもので、ルイ14世が自ら政治を始めた1661年から約20年間の功績を、オランダ戦争(1672〜78年)の勝利を中心に描いています。中央の絵のタイトルは「国王は自ら統治する」です。描かれた絵の数は資料によって数え方が異なります。当時の逸話として、庭側の壁を鏡で埋めたのは、ル・ブランの絵が増えるのを抑えるための、マンサールの策だったとも伝えられています。

かつては銀製の家具が並んでいたとされますが、ルイ14世が戦費のために1689年に溶かして貨幣にしました。現在の家具は、フランス革命で多くが失われたあとの19世紀に作られたものです。暖炉は一つもありません。広すぎて暖められないためです。窓の外に見える上階の四角い窓は、外観を整えるだけで、内部に部屋はありません。ローマ皇帝の胸像や、ギリシャ・ローマの神々の彫刻も並びます。

歴史の舞台としても有名です。1871年1月18日、普仏戦争のさなかに、ここでドイツ帝国の成立が宣言されました。1919年6月28日には、第一次世界大戦の講和条約であるヴェルサイユ条約が調印されました。2004年から2007年にかけて大規模な修復が行われています。通常のパスポート券で見学できます。

王の大居室:6つのサロンを順にたどる

王の大居室は、もともと王の住まいとして造られましたが、鏡の間ができると、ルイ14世は絵画のギャラリーと、廷臣を迎える接見の場に変えました。惑星と神々の名で呼ばれる部屋が、一列に続いていきます。

部屋見どころ
ヘラクレスの間もとは礼拝堂。ヴェロネーゼの大作2点と、ルモワーヌの天井画「ヘラクレスの神格化」
ヴィーナスの間夜会で軽食が出た部屋。ローマ皇帝の姿のルイ14世像
ディアナの間ビリヤード室。ベルニーニ作のルイ14世の胸像
マルスの間もとは衛兵の間。のちに音楽会の部屋になり、軍事の装飾が残る
メルクリウスの間1682年の公式の寝室。1706年のからくり時計
アポロンの間玉座の間。天井は太陽神アポロンの戦車。銀の玉座は1689年に溶かされた

ヘラクレスの間のヴェロネーゼの絵は、1664年にヴェネツィア共和国がルイ14世に贈ったものとされます。ヴィーナスの間の天井画では、神話の主題で王の権威が表現されています。メルクリウスの間のからくり時計は、時刻を告げると、ルイ14世と「名声」の像が雲から下りてくる仕組みで、宮廷の規則正しい生活を象徴しています。アポロンの間の中央の天井画は、4頭の馬に引かれた太陽の戦車で、ルイ14世が好んだ太陽の紋章です。

この一連の部屋は、毎年11月から復活祭のころまで、週に3回、夜の6時から10時まで、廷臣を迎えての催しに使われたと伝わります。ルイ14世は、こうした催しに貴族を集めて、日ごろから目の届く場所に置き、地方の力を弱めました。

王の寝室と王妃の寝室

王の寝室は、宮殿の中心にあります。もともと居間だった部屋を、ルイ14世が1701年に寝室に改めました。ここでは、王の起床と就寝の儀式が、多くの廷臣が見守るなかで行われました。ルイ14世は1715年9月1日、ここで亡くなっています。ベッドの上には、彫刻家クストゥーの浮き彫り「眠る王を見守るフランス」があります。1789年10月6日には、この部屋のバルコニーに、ルイ16世とマリー・アントワネットが立ち、中庭に集まった群衆を見下ろしました。

王妃の寝室は、ルイ14世の王妃マリー・テレーズ、ルイ15世の王妃マリー・レクザンスカ、そしてマリー・アントワネットと、3人の王妃が使いました。1789年10月5日から6日にかけての夜、群衆が宮殿に押し入ると、マリー・アントワネットはこの寝室から逃れたと伝えられます。日本の旅行者に人気の部屋で、花柄の布に囲まれた、夏の装いの室内が見られます。

ルイ14世は、夜の食事を、廷臣が見守るなかで一人でとることがありました。王の食事を見る行為も、宮廷の儀式の一部でした。ヴェルサイユでは、起床、食事、就寝、礼拝と、王の一日が細かい決まりでできており、日本語版ウィキペディアでも、宮殿が、さまざまなルールやエチケット、マナーを生んだ場として説明されています。

礼拝堂・オペラ劇場・戦闘の回廊

王室礼拝堂

1699年に着工、1710年に完成。高さ約40m、長さ約42m。3人の画家が描いた一続きの天井画と、1709〜10年に造られたオルガンがあります。

王立オペラ劇場

ガブリエルの設計で、1770年5月16日、ルイ16世とマリー・アントワネットの結婚を祝って落成。ほぼ全体が木造で、大理石に似せて塗られています。

戦闘の回廊

ルイ=フィリップが1830年代に造った博物館の一部で、南翼2階にある宮殿でも最大級の部屋。フランスの戦いを描いた大作が並びます。

王室礼拝堂は、ルイ14世の時代に最後に建てられた建物です。2017年から2021年にかけて全面的に修復されました。オペラ劇場は、現在も音楽会などに使われますが、通常の自由見学の経路に含まれるかどうかは、時期によって異なります。見学したい場合は、公式サイトで確認してください。

戦闘の回廊を含むエリアは、1830年にルイ=フィリップが「フランスのすべての栄光に」捧げる博物館にするために、もとの居室を壊して造り替えたものです。隣の戴冠の間には、ナポレオンの戴冠式を描いたダヴィッドの大作が飾られています。ここにあるのは複製で、原本はルーヴル美術館にあるとされます。

庭園・大運河・噴水ショー

ル・ノートルが設計した庭園は、整形式の部分だけで約93haあります。ラトーナの噴水からアポロンの噴水、そして大運河へと、宮殿の正面から一直線に視界が開けます。大運河は、幅約62m、長さは約1.5km(日本語版ウィキペディアでは1,800m)とされ、資料によって数字が異なります。庭園と公園は毎日開いており、月曜でも歩けます。

ラトーナの噴水
宮殿から庭園へ下りてすぐのラトーナの噴水。

庭園は、宮殿よりも長い時間と人手をかけて造られたとされます。水の乏しい土地に噴水を設けるため、ルイ14世はセーヌ川から水を引き上げる巨大な揚水装置「マルリーの機械」を造らせ、1685年に本格的に稼働しました。それでも、すべての噴水を同時に動かす水量はなく、噴水ショーが特別な日の催しになった背景には、この水不足があります。

庭園の噴水には、意味が込められています。ラトーナの噴水は、泥を投げつけられながら幼い太陽神アポロンを守るラトーナと、カエルに変えられた村人を表し、ルイ14世が子どものころに経験した貴族の反乱「フロンドの乱」の記憶と結びつけて説明されます。アポロンの噴水は、天に駆け上がる太陽神の戦車で、太陽王ルイ14世自身です。ただし、この解釈は日本語版ウィキペディアの説明で、ほかの説もあります。

庭園はルイ14世が祝宴の舞台にも使いました。1664年5月には「魔法の島の悦楽」と呼ばれる1週間の祝宴が開かれ、ヨーロッパ中に版画で知らされました。ルイ14世は、民衆が庭園を見られるようにも考え、庭の見方を示した案内書を発行したとされます。冬の間、1,000本以上のオレンジの木が温室に収められ、5月から10月に花壇の前に並びます。

4月から10月の週末などには、噴水が音楽に合わせて動く「グラン・ゾー・ミュジカル」が開かれ、その日の庭園は有料になります。開催日、時間、料金は庭園と噴水ショーにまとめました。

トリアノンとマリー・アントワネットの離宮

庭園の奥には、ルイ14世が1687年に建てたグラン・トリアノンと、ルイ15世が1768年に完成させ、のちにマリー・アントワネットが与えられたプチ・トリアノンがあります。さらにその先には、1783年から1785年にかけて造られた王妃の村里(ハモー・ド・ラ・レーヌ)があります。

プチ・トリアノン
マリー・アントワネットが過ごしたプチ・トリアノン。

グラン・トリアノンの前身は、1670年に建てられた「磁器のトリアノン」です。中国風の外観が当時めずらしく、磁器ではなくデルフト焼きのタイルで屋根を葺いたため雨漏りしやすく、1687年に取り壊され、桃色の大理石を使った現在の建物に建て替えられました。わずか3か月で建てられたとされます。ナポレオンも、結婚前の1810年に、この建物を改装させています。

プチ・トリアノンは、建築家ガブリエルの設計で、1762年から1768年にかけて建てられた新古典主義の建物です。もともとはルイ15世がポンパドゥール夫人のために造らせましたが、夫人は完成前に亡くなり、のちにデュ・バリー夫人が使いました。1774年に即位したルイ16世が、19歳の王妃マリー・アントワネットにこの離宮と周囲の庭を贈りました。

王妃は、宮廷の堅苦しい儀式から離れて、ここで気心の知れた少数の友人と過ごしました。王妃の許しがなければ誰も入れない私的な場所だったため、宮廷の貴族から反感も買ったとされます。私室の鏡の板は、取っ手を回すと窓を覆うように上下し、ろうそくの光を映すつくりです。庭には、1778年に建てられた「愛の殿堂」があります。1789年10月5日、王妃は庭の洞窟で、パリから民衆が来るという知らせを受けたと伝わります。

王妃の村里は、農家、酪農小屋、水車小屋、灯台の形をした塔などが池を囲む、小さな集落です。建築家ミックが手がけ、牛乳や卵を王妃のために供給する農場でもありました。隣には、王妃が愛した音楽と芝居のための小さな劇場(1780年)もあります。

トリアノンの敷地は宮殿から歩くと約30分かかります。パスポート券があれば入れるので、時間に余裕のある日は、午前に宮殿、昼から庭園とトリアノン、という順が公式にも勧められています。

「ベルサイユのばら」ファンの回り方

日本で「ベルサイユ」の名が広く知られているのは、池田理代子さんの漫画『ベルサイユのばら』(通称「ベルばら」)の影響が大きいでしょう。『週刊マーガレット』で1972年から1973年にかけて連載され、2013年12月の時点で、累計発行部数は2,000万部を超えたとされます。1974年から宝塚歌劇団が舞台化して社会現象となり、1979年10月から1980年9月には日本テレビ系でテレビアニメ(全40話)も放送されました。2022年には誕生50周年を記念した展覧会が開かれ、2025年1月には新作の劇場アニメが公開されました。

物語は、1755年に生まれた3人を軸に進みます。オーストリアの皇女で、のちにフランス王妃となったマリー・アントワネット、スウェーデンの貴族フェルセン(作中では「フェルゼン」)、そして男装の軍人オスカルです。作者は、シュテファン・ツヴァイクの伝記小説『マリー・アントワネット』に感銘を受けて、史実を参考に描いたとされます。マリー・アントワネットとフェルセンは実在の人物ですが、オスカルとアンドレは作者が生み出した人物で、物語はフィクションです。

作中の人物史実と創作
マリー・アントワネット実在。1755年生まれ、1770年に14歳で嫁ぎ、1793年10月16日に処刑
フェルセン実在のスウェーデン貴族。王妃との交流が知られる
オスカル、アンドレ作者が創作した人物

作品に登場する王妃の寝室、鏡の間、トリアノンと王妃の村里は、いずれも宮殿の見学ルートか庭園の奥にあります。1789年10月5日から6日のヴェルサイユ行進で、パンの値上がりに怒ったパリの群衆が宮殿に押し寄せ、王家をパリへ連れ戻した場面は、作品の山場の一つです。ファンの方は、午前に宮殿、午後にトリアノンの順で組むと、物語の舞台を一日で回れます。

一輪のばらと手紙のイメージ
物語の世界を思わせるイメージ画像(実在の場所の写真ではありません)。

日本語の表記で「ヴェルサイユ」と「ベルサイユ」が混在しているのも、この作品の影響とされます。当サイトは、地名や固有名詞に「ヴェルサイユ」を使いつつ、本文では「ベルサイユ」もあわせて使っています。いずれも同じ場所を指します。

歴史のあらまし

革命のあと、宮殿は空になり、一時は荒廃しました。ナポレオンは宮殿に住むことを考えましたが、改修の費用のために断念し、代わりにグラン・トリアノンを再び整えました。20世紀には、最初の学芸員ピエール・ド・ノラックらによる修復が進み、アメリカの実業家ロックフェラー二世が、1925年から1928年に約216万ドルを寄付しました。1999年12月の暴風で庭園は約1万本の木を失いましたが、その後に植え替えられています。

現在も宮殿は、フランスの政治の舞台です。国民議会と上院が合同で開く「両院合同会議」は、憲法を改正するときなどに、ヴェルサイユの宮殿で行われます。2024年3月にも、憲法改正のために開かれました。

モデルコース:半日と1日

日程回る場所
半日(約4時間)宮殿のみ。王の大居室、鏡の間、王妃の寝室を音声ガイドで
1日(約8時間)午前に宮殿、昼に庭園、午後にトリアノンと王妃の村里
ベルばらコース王妃の寝室、鏡の間、プチ・トリアノン、愛の殿堂、王妃の村里

公式サイトの案内では、9時に宮殿に入り、10時から12時に庭園、12時から16時半ごろにトリアノンという流れが勧められています。宮殿だけで1.5〜2.5時間かかり、順路をオーディオガイドにしたがって進むと、庭園を歩く時間は15分から30分ほどしか残らないという旅行ブログの声もあります。庭園とトリアノンをしっかり見たい人は、宮殿を午前の早い時間に済ませるか、宮殿の入場を午後にして庭園を先にする方法を考えましょう。

園内を移動するには、宮殿と庭園、トリアノンを結ぶ周遊の小さな列車(有料)、自転車、電気自動車の貸出し、大運河のボートなどがあります。運行日や料金は季節によって異なり、冬は休みのものもあるため、公式サイトで確認してください。

館内でのルールと、食事・休憩

園内には、宮殿の1階のカフェ、大運河のそばのレストラン、トリアノンの軽食店など、いくつか飲食の場所があります。ブログなどで紹介される店には、閉店したものや、営業時間が短い季節があるため、行く日の営業状況を公式サイトで確認してください。宮殿は混雑するため、食事の時間をずらすのもよい方法です。

季節については、公式の噴水ショーが4月から10月で、その時期は庭園が最も華やかです。日本のブログには「6〜9月がベストシーズン」という見方もあります。一方で、冬は庭園が無料になり、宮殿も比較的空きがちです。服装は季節によって、雨と寒さの備えを考えましょう。

チケットはどう選ぶ?

宮殿・トリアノン・庭園のすべてに入れるパスポート券が基本です。宮殿の予約は、無料の人も含めて全員が時間指定で、日付と時間を先に押さえる必要があります。トリアノンだけ、庭園だけの券もあり、宮殿の枠が売り切れの日は、庭園とトリアノンのセット券(高シーズン20ユーロ)が代わりになります。料金表はチケット予約と料金にまとめました。

ヴェルサイユ宮殿の公式サイトは日本語で見られる?

当サイトは公式サイトではなく、独立した非公式の紹介サイトです。公式サイトは英語とフランス語のみで、日本語版はありません。ブラウザの翻訳機能を使えば読めます。

よくある質問

ヴェルサイユ宮殿とベルサイユ宮殿は同じですか?

同じ場所です。日本語の表記が分かれているだけで、フランス語の Château de Versailles を指します。

休館日はいつですか?

毎週月曜と、1月1日・5月1日・12月25日です。庭園と公園は毎日開いています。

予約は必要ですか?

宮殿は全員に時間指定の予約が必要です。無料の対象者も、パリ・ミュージアム・パスの所持者も、無料のチケットで時間を押さえます。

料金はいくらですか?

全域のパスポート券は、高シーズン(4〜10月)が35ユーロ、低シーズン(11〜3月)が25ユーロです。日本からの旅行者に適用できる割引はありません。

日本語で見学できますか?

公式サイトは英語とフランス語のみです。宮殿の音声ガイドには日本語があり、トリアノンの音声ガイドは日本語に対応していません。

どのくらい時間がかかりますか?

宮殿だけで1.5〜2.5時間です。庭園とトリアノンまで回るなら、1日を空けてください。

鏡の間は何で有名ですか?

長さ約73mの大回廊で、1871年にドイツ帝国の成立が宣言され、1919年にヴェルサイユ条約が調印された場所です。

ベルサイユのばらのオスカルは実在しましたか?

オスカルは作者が創作した人物です。マリー・アントワネットとフェルセンは実在しました。